朝田淳弥くんの未来に乾杯!
2019年4月1日。
どうやら私の大好きな人がジャニーズ事務所を卒業したみたいです。
なんだかまだ信じられなくて、信じたくなくてこんな書き方になっています。
前日の春松竹千穐楽。観に行くことはできませんでしたが、そこで歌う淳弥は大号泣していたらしいです。そしてみんなも淳弥にハグしに行ったり、肩組みに行ったり、泣いていたり。ダブルアンコールでは大吾くんが一部の歌詞を「朝田」に変えて、淳弥を真ん中にしてみんなで架け橋作って、最後には淳弥が「未来に乾杯!」と言って幕がしまったと。みんながこの状況を知り、淳弥の卒業式だったと言っていました。
そして次の日。0時を過ぎると公式サイトから「朝田淳弥」の文字がなくなりました。直前まで見ることができていたプロフィールや動画は簡単に消されてしまいました。こういう時だけ仕事早い事務所。だいっきらい。
好きになったのは確か私が高校3年の秋。受験勉強真っ只中っていう時に新たな沼に落ちてしまいました。私は大吾くんの担当をしていたので、淳弥のことはもちろん前から知っていました。本当に突然でした。ある日のまいどジャーニーのshowtimeで、茶髪の子がドラムを叩いていて、軽率にもかっこいいと思いました。よく見たらそれは朝田淳弥くんで、大学生になって初めて髪を染めたタイミングでした。こんなことを言ってしまえば落ち方ほんとにチョロいんですけど、茶髪がすごく似合っててそれでドラムを叩く淳弥にころっと落ちてしまいました。そんな感じで好きになったので、一時的な自分の中でのブームかななんてその時は思っていました。私からしたらよくあることなので(笑)でも色んな映像を見ていくうちにどんどん好きになっていって、気付いたらこれです。口を開けばジュンヤ♡なオタクになっていました(笑)
好きになった時にはfunky8という非公式ながらもグループがあって、本人たちも応援する私たちも「公式化」「単独コンサート」など色んな夢を口にしていました。あの時代を応援できたことは本当に幸せだと今でも思います。関西にユニットができ、バラバラになってしまった今でも私の中からfunky8は一生消えることはありません。淳弥は7人が大好きで、この7人と夢を見ることを1番楽しんでいるように見えました。
「公式ユニットになりたい」
「funky8で単独コンサートがしたい」
「この8人でデビューしたい」
みんなの中で1番言葉にして私たちに夢を教えてくれたのは淳弥でした。その言葉を聞くたびに、私もその夢を叶えてあげたいと強く思いました。
"淳弥が大好きな人たちと一緒に夢を叶えること"
それが私の夢でした。
ですが現実はそう甘くなく、8人をどんどん引き離していきました。そしていつのまにかfunky8という名前を誰一人出さなくなっていました。出さなかったんじゃない。出せるような状況じゃなかったんだと思います。でもそれぞれの場所で、それぞれの立ち位置で間違いなく8人全員が輝いていました。
そして去年の10月になにわ男子が結成、今年2月にはAぇ!groupが結成。本格的にバラバラになってしまいました。前回のブログでも書いたけど、Aぇ結成は正直悔しすぎたなぁ(笑)
流石に心が折れかけたけど、そんな私に前を向かせてくれたのはやっぱり淳弥でした。インタビューでの前向きな発言、心強い言葉。全てが私の安心材料になりました。
「次のチャンスに向けて、もっともっと頑張らなあかん」
「いろいろ環境が変化してるから、この新しい風に俺らも乗らんと。」
「大地にも負けたくない。」
「どんな環境におっても自分を輝かせられるように、何が起きても、何事にも全力で頑張ります!」
この1ヶ月でこんなにも前向きな言葉を発信してくれました。
だからこそ信じられないんだよなぁ。
私は常々、いつか淳弥がこの仕事を辞めてしまうことを覚悟はしていました。そんなの望んでなんかいないけれど、淳弥がそうしたいと思うならいってらっしゃいと見送ることしかできません。だって、淳弥の人生は私のものじゃない。淳弥だけのものだから。でもいざ突然いなくなってしまうと覚悟なんかこれっぽっちもできていなかったことに気付かされました。もっと淳弥にいろんな景色を見せて欲しかったし、私も淳弥にいろんな景色を見せてあげたかった。もっともっと応援したかったし、夢を叶えてほしかった。大好きな仲間たちと夢を叶える姿を見たかった。
もっと、もっと…そう思うほどに自分が何か淳弥のためにしてあげられることはあったんじゃないかって思って、自分を責めました。演技のお仕事がしたいと言うなら要望を出せばよかった。淳弥の良さを全力でみんなに伝えられたらよかった。私に出来ることはいっぱいありました。でもやりきった!と思うほど出来ませんでした。無力だったなぁわたし。
でもそんな私でも淳弥のために出来たこともあります。淳弥に会いに行くこと。ペンライトで淳弥を照らすこと。団扇を振ること。公式グッズを買うこと。気持ちをファンレターに込めて伝えること。ぜーんぶ自分がやりたいと思ってやっていたことでしたが、淳弥がステージに立つ理由にほんの少しでもなれていたのなら私がいる意味はあったと思います。力になれてた?
私がここまで好きになれて、全力でどうにかしてこの人に最高の景色を見せてあげたいと思った人は初めてでした。今までにも担当として応援した人はいましたが、好きになってから一度も冷めずに全力で応援できたのは淳弥だけです。時にはいるのかわからない現場に賭けで行ったこともありました。あ、ちなみにちゃんといました。あの時は試験期間だったので新幹線の中でレポート書きながら行ったのもいい思い出です(笑)新年早々、実家の帰省を短くしてまで大阪に飛び、早朝からグッズのために並んだりもしました。しかも2年連続。そして一時期姿を消したこともありました。ちょうど1年前です。でもその時ですらずっと私が淳弥を好きな気持ちに変わりはなく(流石にバカだなぁとは思った)、帰りを待ち続けました。この時のことを知る友人には、「一度逃げて、戻ってきたタイミングで出戻りだってできたのに淳弥を信じて待ってたのは本当にすごいよ。」なんて言われました。私からしたら人に褒められるようなことをしているつもりはありませんでした。ただただ淳弥が好きでしょうがなくて、誰がなんと言おうと私が好きなんだから帰りを待ってあげようと思っていただけなので。言い方はちょっと悪いけれど、降りるにはまぁ絶好の機会だったこの時を乗り越えたんだから、相当私は淳弥のことが好きなんですよね。
たぶん「担当」という概念では私にとってベストな人が「朝田淳弥」だったんだと思います。これ以上の人はもういないんじゃないかなぁ。
改めて聞かれるとどこが好きなのかわかりません。朝田淳弥という人間の全てを好きになってしまったことは確かです。名前の由来は「人に好かれる素直な子」だそうです。ご家族が「淳弥」という名前に込めたように、淳弥は素直な人で、本当に人に愛されています。どこか憎めないところがあって、淳弥の周りは愛で溢れていました。兄弟のような関係性で隣にいることが当たり前だった今江くん。弟のように淳弥に懐いてくっついてくる大橋くん。淳弥のアホなところとかを見てはケラケラ笑う丈くん、リチャ。自分からくっついてくるくせに淳弥から行くと突き放してツンデレ発揮しちゃう末澤くん。入所してすぐの時のユニットからずっと近くで淳弥を見守っていてくれた古謝くん。生意気な弟を可愛がってくれてプライベートでもよく一緒に過ごしていたまとくん。裏で仕事の相談に乗ってくれて、自分の連載で密かに淳弥にメッセージを送ってくれた龍太くん。プライベートも過ごし、淳弥が復帰した舞台でおかえりと言ってくれた康二くん。なかなか後輩に好かれないと自分で言っていた淳弥をすごく慕ってくれて、いっぱい泣いてくれて淳弥の最後の写真を載せてくれた小島くん。同じく、淳弥のことを慕ってくれた後輩である楽ちゃん、風雅。代表して数人しか名前を挙げられなかったけれど、こんなにも淳弥は素敵な人たちと一緒に仕事ができていました。幸せ者すぎるよ。でもこんなに沢山の人に愛されたのは、淳弥の人柄があってこそだと思います。みんなと距離を置かざるを得ない状況になり一時期おやすみしていたけれど、それでもみんなはまた淳弥のそばにいてくれました。それも淳弥の人柄あってのこと。もちろん1番は周りのみんなが暖かいおかげです。だから私は淳弥だけではなく、関西ジュニア全てが大好きで、宝物です。
そして、淳弥を好きになれたおかげで私は色んなことが変わりました。今の私を知っている人は想像もしないと思いますが、大学1年くらいまではかなりの人見知りでした。高校入学してすぐはクラスに唯一同じ中学の子がいなくて話し相手がいなく、学校に行きたくないと毎朝泣いていました。結局毎日学校に行って(ちなみに3年間皆勤賞)今でも付き合いのある友達とも出会えましたが、ほんとにそれくらいの人見知りでした。大学入学時もそんな感じで自分から友達を作ることが苦手でした。ですが、そんな私がなぜかオタクとして知り合ったみんなとはすぐに打ち解けられました。Twitterで元々お話はしていたとはいえ、過去の私ではあり得ません。こうして出会い、今ではオタク関係なしに色んな話ができる友達が全国各地にできました。こんな素敵な出会いができたのは淳弥を好きになれたからです。人見知りなんて忘れるくらいにみんなと話すのが楽しくてしょうがなかったです。ほんとに母親にびっくりされるほどです。そして全然離れた土地に妙に詳しくなりました(笑)田舎者のくせに梅田?大阪駅?余裕だわ〜!HEP集合ね〜!なんて(笑)ほんとにど田舎出身なので交通機関にも弱かった私ですが、今では飛行機乗り回してます。夜行バスだって乗りこなします。これも間違いなく人として成長できたことです(笑)
本当に書ききれないくらい淳弥には沢山の宝物を貰ったし、幸せにしてもらいました。もらいすぎて今キャパオーバーだよバカ。全部涙として溢れてきちゃうわバカ。
これから先、淳弥がどんな道を進むのかは私にはわかりません。でも淳弥が進む道は淳弥が決めることで、それが正解です。仲間のことが大好きで大好きでしょうがないあなたのことだからこの決断は本当に悩んだと思う。違う環境に自分で踏み込むのはそう簡単に決断できることじゃないし、怖いと思う。それでも仲間と一緒に10年歩き続けた道ではなく、まだ見ぬ道を選んだんだから淳弥は本当に強い人です。すぐそばに仲間はもういないかもしれないけれど、この10年間でできた大切な仲間はこれからもずっと淳弥を支えてくれるはずです。
だから私がすべきことは、不安でいっぱいなその背中を「いってらっしゃい」と優しく押してあげることだと思います。物理的には無理だし直接伝えることももうできないけれど、その気持ちが淳弥に届くと信じて背中押させてね。
淳弥にはずっとずっと笑っていてほしいし幸せでいてほしいです。それは環境が変わっても、姿が見れなくてもずっと変わりません。この仕事をしていて辛いこととかがいっぱいあったと思います。でもそれでも淳弥は「楽しいのはずっと楽しいから」と言っていました。この言葉にどれほど私が救われたか。だからこれからも淳弥が楽しいと思えることをして、俺むっちゃ幸せやわ〜!って言えることだけを望んでいます。
このブログを終わりにしたくなくてこんなに長く書いてしまいました。だって私がみんなの前で朝田担を名乗って書く最後のブログだもん。最後まで語彙力なくてすみません。担タレやんって笑ってください。
ここからは手紙だと思って見てほしいです。朝田担の私として書く最後の手紙です。
〜関西ジャニーズJr.のみんなへ〜
最後にあんなに素敵な卒業式をしてくれてありがとう。あの場所に私はいなかったけれど、淳弥のためのステージみたいだったって話聞きました。色々迷惑もかけたと思うけど、私の大好きな淳弥を最後まで愛してくれてありがとう!笑顔で送り出してくれてありがとう!私から言うのもあれだしそんな心配しなくてもいいんだろうけど、これからも淳弥のこと支えてあげてください。みーんな幸せになるんだよ!!夢諦めんなよ!!叶えろよ!!約束だからね!!
P.S.ずっと意地張ってて言えなかったけど言わせてください。Aぇ!group結成おめでとう!
〜私と仲良くしてくれた友達へ〜
朝田担の私と友達になってくれてありがとう。多分淳弥を好きになれてなかったら出会えなかった人ばかりだと思う。最後まで淳弥がお騒がせしちゃってごめんね(笑) 口を開けば淳弥の話ばっかりで呆れられがちな私だったけれど、そんな私が大好きだと何人もの子が言ってくれました。私のおかげで淳弥の良さいっぱい知ることができたよって言ってくれる子もいました。どの言葉も本当に嬉しいです。だからこそこれからの自分がどうなるのかわからなくて不安でいっぱいだけど、みんなの前で全力で淳弥を好きでいれた自分を誇りに思って前に進んで行こうと思います。淳弥がきっかけでみんなと出会えたんだから、私は淳弥を好きになって後悔なんかしてません!これだけは絶対伝えたくて!最後まで気遣わせてしまってごめんね!でもわざわざ連絡くれた子もいてありがとう!みんなも私の宝物です!みんなとみんなの応援している人が幸せになりますように!
そして最後に…
〜朝田淳弥くんへ〜
多分読まれることなんかないのに最後に何伝えたらいいのかわかりません。あんなに前向きな言葉で溢れてたからこんなにも早くこの時が来るなんて正直思ってなかったよ。ダンスも短期間でレベルアップしていたし。全部私たちに最後まで全力で応援させるための意地悪だったのかなぁ(笑)一生アイドルでいてくれなんて簡単に言えないことはわかってるし、縛り付けることもしたくないです。私は淳弥を全肯定してます。だからどんなことも受け入れます。裏切り者だなんてこれっぽっちも思ってないよ。淳弥の幸せは私の幸せでもあります。だから例え姿が見えなくても淳弥が幸せならいいんです。綺麗事に聞こえるけどちょっとの強がりくらいさせてよ。
私が初めてアイドルを好きになってファンサというものをもらえたのは淳弥が初めてです。見つけてもらうことに命をかけていた訳ではないけれど、私の団扇やペンライトに気付いて顔がパーっと分かりやすく笑顔になってくれたのを見るのが好きで、その度に幸せでした。また会いに行きたいと思わせてくれて、そのために学校もバイトも頑張ろうって思わせてくれたね。最後となった春松竹でも、気づいてくれたの絶対に忘れないよ。
淳弥からもらった大切な宝物は一生消えることはないと思います。少し薄れてしまうかもしれない。でも絶対に私の心の中にあなたの存在は残っています。残します。私の人生の約3年間という短い時間だったけれど、全力で淳弥を応援できたこの時間は私にとっては本当に大切な時間です。いつか私に家族ができたら、こんなに素敵なアイドルを全力で応援してたんだよ〜!って自慢してやります。淳弥は私の誇りだから。
最後だと思わずに出した最後のファンレターはすっごく長くて重い内容になってしまってごめんなさい(笑)実はあの手紙でちょうどいつも使っていたレターセット無くなって、買わなきゃいけないな〜って思って探してたんだけどどこにもなかったんだよね。全然どこにでもあるようなシンプルなレターセットだったのにどこ探してもなかったんだ。そういうことだったのかなぁ(笑)でもあの手紙の最後に私の1番伝えたいことが伝えられてた気がします。だからここでも最後に書くね。
色々なことがあったけど、私は淳弥くんを好きになって、応援できて幸せです。だから好きになったことを後悔したことなんて一度もありません。アイドルとして私と出会ってくれてありがとう。あなたと出会えた私は世界一の幸せ者だって胸張って言えます。
淳弥くんの未来に乾杯!!
ずっとずーっとあなたが私の一番星です。
どうかずっと輝き続けられますように。
世界を楽しめ 君は主役
まさか、自担の約2年ぶりのショータイム出演で嬉しくてオエオエ泣いた次の日に、それ以上に泣くなんて誰が思う??しかも悔し涙で。
最初に言っておきますが、多分これを見ていい気がしない人も絶対いると思います。閉じるならお早めに。
2019年2月18日。なにわ男子、Lilかんさいに続き、関西ジャニーズJr.に3つ目となるグループ、「Aぇ!group」の結成が発表されました。
でもそこに、私の大好きな朝田淳弥くんの名前はありませんでした。
初めて知った時、何個もの「なんで?」が頭の中をグルグルしました。
なんで淳弥の名前はないんだろう。
なんであの大好きな6人が離れてしまったのだろう。
なんでそのまま6人でグループを組むのではダメだったんだろう。
なんで、なんで、なんで。
全ての問いの答えを誰も教えてくれるわけなくて、ただ自分が嫌になるだけでした。大好きな関西Jr.に新たなグループができて、ずっとガムシャラに頑張ってきた子たちが報われた。そしてその子たちを応援してきた子たちも同じように、やっと報われた。嬉しくないはずないです。すぐにでもおめでとうって言ってあげたかった。でも、私には無理でした。
グループ入りを果たした子たちを応援しているなら素直に喜んでほしい、モヤモヤしてるものを一旦は無視して手放しで喜んでほしい。そう思う一方で、今まで以上にお祝いムードなTLを見るのが辛かったです。
ユニットに入れて嬉しいっていうAぇ担と、おめでとう!でもこっちも負けてられないね!ってなるなにわ担・リトル担。
じゃあどっちにも当てはまらないわたしはどうすればいいの?みんなと一緒にいてもいいの?
そんなことまで考えだしてしまって、初めて孤独感を味わいました。
何より私が悔しかったのは、やはりF6と呼ばれた6人が一緒になる未来が断たれてしまったことでした。丈くんと大橋くんがなにわ男子のメンバーとなり、それまで非公式ではあるもののファンの間でFunky8と呼ばれていた8人の括りがなくなり、バラバラになることの多かった6人がまた集まって、再スタートしたばかりでした。梅芸、クリパ(末澤くんは舞台により不在)、あけおめではこの6人だからこそできるパフォーマンスで、龍太くんと康二くんと共にお兄ちゃん組の強さを魅せつけてくれました。あけおめの局動画見ました?わたしの場合強すぎてiPhoneの前でひれ伏しました。よく画面割れなかったなというレベルで強い人たち。ギラギラしてて、闘争心というかそういうものを感じました。初めて6人お揃いの衣装も作ってもらえて本当に嬉しかったです。やっと6人のやりたかったことができているし、私たちが見たかったものも見れた。そんな気がして、これからの6人のパフォーマンスが楽しみで仕方がなかったです。
それに、私がまたこの6人にこだわりたいと思った理由は、彼ら自身が一緒になることを望んでいたからです。末澤くんがインタビューでこんなことを言っていました。
「今一緒に活動することが多い5人とは、ずっと一緒だったからいろんな話をしたし仲も良い。これから先やりたいことが僕ら6人それぞれにあって、そのために各々がんばった結果、一緒になれたらいいよねって話をしたこともあります。」
心の底から嬉しかったです。6人が同じ未来、「一緒になる未来」を夢見ているのだと知れて。だから、焦らずに6人の頑張る姿を見守っていたいなと思うようになりました。
まさかこんなにも早くその夢が現実的ではなくなるとは思いませんでした。もしかして今が6人の言う、それぞれがやりたいことを各々で頑張る時期?? また集まる??
そんなことは無いと思うし、そんなにすぐ無くなってしまうグループなら作るな事務所よ。という気持ちです。
ちょっと自分でも何言ってるのか、何言いたいのかわからなくなってきたんですけど、これだけはちゃんと言っておきます。私は決してリチャと末澤くんを恨んだりだとか、裏切り者だなんてはまっっっっったく思いません。2人のこの選択は正しいとすら思います。目の前にあるチャンスは絶対に掴み取ってほしい。絶対に離さないで、誰にも譲らないでほしい。自分のものにしてほしい。
2人の本心なんか当事者じゃないからわかりませんが、もしかしたら一瞬でも迷いがあったかもしれません。少なくとも4人のことを思い出したはずです。だって、6人の未来を見てたんだから。でも、4人は背中を押した気がします。一緒にやってきた仲間だからこそ、一番近くでやってきたからこそ、目の前にあるチャンスを逃す選択肢がないことくらい知ってるはずです。
だからこそ、2人には絶対に上に行ってもらわなきゃ困るんです。やっっと報われたんだから。2人なら大丈夫だとは思うけど、今までよりガムシャラに頑張ってほしいです。
私はJr.担として、恐らく一番リスクの高い、「自担とその周りの環境(グループや括り)ごと愛してしまう」応援の仕方をしています。だから自担ではないものの、リチャ末にはこんな風に思い入れが強くなってしまったのです。これのどこがリスク高いの??って思う人もいるだろうし、実際私も最近気づいたタイプの人間です。別に悪いことなんかじゃありません。寧ろ素敵なことだと思います。でも、愛しすぎてしまうと、それが当たり前じゃなくなった時に苦しみます。それがまさに私(笑)めちゃくちゃ後悔しました。自担が良ければそれでいいっていう考えができる人なら、今回みたいなことがあってもダメージは少なかったのかな。あぁなんで私はまるごと好きになっちゃったんだろう。考えれば考えるほど、自分の間違いに気づいて、反省して。
でも、そんな私に「そんなん仕方ないことだよ。同じ時期に一緒にやってた仲間たちに思い入れあるに決まってる。逆に、自分が好きになった括りの中でキラキラ輝いてた自担を全力で応援できてよかったって思えない?この括りに出会えなかった運命の方が怖くない?」と友達が言ってくれました。その言葉で何かがスーッと落ち着きました。私が淳弥を好きになって、淳弥と一緒に活動する仲間たちを好きになって、色んなことがある中で全力で応援できたことってすごく幸せなことなんだと。それに、誰よりも仲間想いで、恥ずかしがりもせずに仲間との未来を熱く語ってくれる淳弥を応援している私にとって、同じように好きになって、仲間との未来を望んでしまうのは必然なんだと。そう気付きました。私と同じような人ー!間違ってないよー!(誰)
グループの話に戻りますが、6人の括りがなくなってしまったことももちろん悔しかったですが、やっぱりそこに淳弥がいないこともすごく悔しかったです。悲しいっていうより、悔しい。これまでの2グループの時とは比べ物にならないくらい本人も悔しかったはずです。だって同じラインでステージに立っていた2人が選ばれているんですから。グループ結成の話を聞いた時に、淳弥は何を思ったんだろう。ずっと考えていました。私が思う以上に悔しかったと思うし、仲間想いな淳弥だから祝福もしたのかななんて。弱気になってないかなっても思いました。
でも、淳弥は強い人だからもう前を向いていると思います。そう思えたのは、滝沢歌舞伎ZEROで見た淳弥がいつもと違うように見えたからです。ほんとにうるさいくらい友達に「過去1で淳弥が綺麗」ってずっと言ってたんですよ私(笑)あの時は気付けなかったけど、多分それって覚悟というか、前向きな意志を感じたからかなって今は思います。内に秘める何かが淳弥をもっと輝かせてくれていたのかな。ほんとに綺麗でした。もともとウルトラスーパービューティー彫刻フェイスなのであれはもうルーブルで展示するの躊躇うくらい美しすぎました。いやなんかふざけてるみたいになってしまいましたが私は真面目です(笑)
とにかく、私が泣いてる時にはすでに淳弥は前を見て、目の前の仕事にガムシャラに取り組んでいる。いやー、ずるいよねぇ(笑)いっつもそうです。私たちが知る時にはすでにみんな前を向いて、乗り越えているんだから。だから、今私が信じられるのは淳弥だけだし、信じるべきなのも淳弥だけ。出来ることも、これまで以上に淳弥を応援すること。もう泣いてる場合じゃないんですよね。淳弥が前を見て進んでいるなら、その背中を押すのが応援する側の役目です。泣いてないで、しっかりその姿を見ていないとね。
応援する側はただ見守っていればいいのかもしれないけど、淳弥にはこれを機に、もっと自分をアピールしてほしいって思います。少し控えめなところがあって、一歩後ろからみんなを見ているのが淳弥だと思います。それが悪いっていう訳ではないし、それが淳弥のいいところでもあります。でも今こそは、自分からどんどん前に来てほしいです。誰かにふられなくても話が出来るようになったり、自分のやりたいことをしつこいくらいに言ってみたり。そういうことって本当に大事だと思います。私が冒頭でオエオエ泣いたと言ったのが2/17放送のまいジャニのショータイムでのレミゴなんですが、8人の時の淳弥のソロパートが「我慢はいらない」なんですよね。
いやこっちのセリフ!!!!!!!!!!!
「俺を見ろ!」ってギラギラしてこうぜ?!?!?!?!?!?!?
朝田淳弥どんどんアピールしてこうぜ?!?!?!?!?!?!?!
すみません取り乱しました。
いやでもそんくらいの気持ちで自分を出してほしいんですよ。じゃないと、グループが3つある今の関西Jr.では埋もれてしまう気がします。せっかくいいものを持ってるのに、埋もれてしまってはほんっっっっとにもったいない!顔がいい!ダンスもうまい!いじられキャラ!ドラムもできちゃう!女装もお手の物!顔がいい!(2回目)MOTTAINAI!!!!!
今がほんとに踏ん張りどころだと思います。どの立場でこれを言ってるんだって感じですけど、淳弥が報われるためならなんだってします。淳弥は報われるべき人です。過ちを犯してしまったこともあるけれど、払拭するくらい頑張れば大丈夫。絶対に明るい未来が待っています。たまには弱気になってもいい。そしたら私が淳弥を精一杯応援するから。逆に私が弱気になってたら、「俺についてこい」ってカッコつけて言ってね。
ここ数日、逃げまくっていました。想像以上に病みすぎて。上の空でなにも手につかなかったり、暇さえあればツイッター開いていた私がほとんど開かず、発言するのも躊躇って。結果、数日何も呟かず、世界が回りすぎてるのに完全に置いてけぼりにされて、どの話題も傍観するだけで。そんな私もなんとか前を向き始めることができる気がして、やっと言葉にしました。ボロボロ泣きながら書いてる時点で前向けてるのか?という感じではありますが、一応大丈夫です。
その間に色んなこと考えました。今までのこととか、これからのこととか。でも何を考えても結局は「私めっちゃ淳弥のこと好きじゃん」って言う結論にしかならなくて。まだ朝田担としての日はそこまで長くないと思います。でも、淳弥を応援するようになってから、悔しいことも、悲しいことも、もちろん嬉しいことも、ぜーーーーーんぶを自分のことのように受け止めてきました。もちろん苦しいと思ったことはありました。でも、一度も応援することを辞めたいとは思いませんでした。だって好きだから。どうしようもなく好きになってしまったから。好きだから応援する。それ以外理由はありませんでした。
先日の西村拓哉くんとのインタビューで淳弥はこう言っていました。
「オレも先輩が辞めていったとか、グループがなくなったとか、いろんなことがあったけど楽しいのはずっと楽しいから。」
ただただ嬉しかったです。楽しいって思えてくれてるんだと。多分淳弥がアイドルを続けている理由もそこなんだと思います。
だったら、私がすべきことはやっぱり、淳弥がこれからも楽しいって思えるように私も楽しく応援していくことだけなんですよね。
まじで自分で書いてても訳が分からなくなってきたしつくづく重いオタクだなって思ってますけど、勘違いしないでほしいのは、私はAぇ!group反対派ではないです。正門くん、こじけん、まさや、たいちぇ、末澤くん、リチャ。ほんとに頑張ってほしいです。6人の作り上げるステージがどんなものなのか、想像がまだつかないけれど、すごそうです(語彙力)
あと、仲のいい子たちには相当気を遣わせてしまったと思います。これからももしかしたら気を遣わせてしまうかもしれません。ごめんね。でも変わらずに、一緒に現場に行きたいし、お互いの好きな人の話をいっぱいしたいです。
突然ではありますが、最後に私に宣誓させてください。自分の意思表示です。
いやなんやこいつって思っても一旦スルーしてほしい。
宣誓ぃぃぃぃい!!!!
わたくしはー!!
これからー!!より一層朝田淳弥くんをー!!応援することをー!!
誓いまぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!!!!!!!
淳弥大好きだよーー!!!!!!!
夢叶えようねー!!!!!!!!
楽しもうねー!!!!!!!!
未来にー!!!かんぱーーーい!!!
泣いてるだけじゃだめだよね。
ちゃんと私も前向きます。
2019.02.25
「ごめんね」と「ありがとう」を君に。
私の中で1つ区切りをつけたい、つけなければならないことがあります。前回の記事から1ヶ月も経ってないことは気にしないでください(笑)
単刀直入に言いますと、
私は西畑大吾くんの担当を降ります。
(もしかしたら気を悪くする大吾担の方もいると思うので、それを承知の上で読むか読まないか決めていただけると…)
これを読んでくれている人は私のお友達が多いのでお分かりだとは思いますが、私は関西ジャニーズJr.の朝田淳弥くん、そして西畑大吾くんの担当を掛け持ちさせてもらっています。大吾担として関西Jr.を応援しているときに淳弥を好きになり、2人とも素敵な人だったのでどちらか一方なんて選べず、不器用ながらも掛け持ちの選択をしました。他グループでの掛け持ちはよく聞く話ですが、関西Jr.という同じグループ(括り)の中での掛け持ちは珍しい方だと思います。最初の頃の私は地方住みの高校生で現場に行かない人間だったので「楽しみ2倍じゃない?!」と能天気に考えていました。しかし大学生になり、舞台やコンサートに足を運ぶようになると「目が足りないどっちかしか見れない」という壁にぶち当たりました。出番が別の時は1人に集中できますが、被っているときはもちろん2人同時になんて見れません。人間に目が2つしかなくて一方向しか見れないことをこんなにも恨んだのは初めてでした(笑)ですが、掛け持ちを後悔したことはなかったです。これからも2人がアイドルを続ける限り、私がオタクを辞めない限り、2人を担当としてずっと応援していくんだろうなぁ、そう思っていました。
もしかしたら私のことを知っている人の中には、まだ担当名乗ってたの?とっくに担降りしたんじゃないの?やっと?と思う人がいるんじゃないかと思います。現に、ツイッターでの呟きも淳弥に関することの方が多く、みんなから見た私というのは完全に朝田担です。そういう状況を作ったのは紛れもなく、私自身です。そして、コンサートでどちらを長い時間見ているかと言われたら、淳弥と答えます。自分の中で、「この曲の大吾は映像にも残るし、また見れるよなぁ。淳弥は今を見ないと、次いつ見れるかなんてわからないよなぁ。」という考えがよぎってしまった結果です。我ながらなんて奴なんだお前は、と思います。でもいつも見ていなくて後悔している自分がいます(小声)
正直、何度も掛け持ちをやめようかなと思い、悩みました。いつの日か熱量にどうしても違いが出てきてしまい、側から見たら掛け持ちとは言えない私になってしまったから。ですが、どんな状況でも、コンサートや舞台で大吾を見ると「この人を好きになってよかったなぁ、やっぱり好きだなぁ」といつも思いました。そしていつの日か、「周りの目なんて気にせず、自分のペースで大吾を好きでいてもいいんじゃないかなぁ」と思うようになりました。そんな風に自己解決して、この話は終わりだー!誰がなんと言おうと私は大吾担だー!降りないぞー!なんて思ってました。
ですが今回、このような決断をしました。淳弥が戻ってきたから、という一時のテンションに身を任せた決断ではありません。理由は2つあります。
一つは、中途半端な自分に大吾担を名乗る資格がない、大吾に申し訳ないと思うようになってしまったからです。 先にも言ったように、現場で大吾を見る時間は淳弥に比べて短かったです。この夏の少年たちでは、淳弥の復帰ということもあり、より一層「淳弥を見たい」という気持ちが強くなってしまいました。公演後の私の脳内は完全に淳弥で、大袈裟に言っても大吾担なんて言えませんでした。そして初めて、「こんな自分が大吾担を名乗っているなんて大吾に申し訳ない…」という気持ちになったのです。
そして二つ目は、担当を名乗ることによって義務感を感じてしまうようになったからです。今回降りるにあたって、大吾のことが嫌いになったわけではありません。これは絶対。嘘偽りなしで。ですが、大吾担を名乗りながら淳弥ばかりを優先して見ている自分が、そのことで楽しいはずの公演中もモヤモヤしてしまっている自分が嫌いになってしまったのです。苦しくなってしまったのです。担当を名乗ると何をするにも義務を感じてしまって、担当なんだし見なきゃという気持ちで見てしまうことが増えてしまいました。それを感じた時に、担当を降りた方がその義務を感じることなく、一切の曇りなしで大吾を見れるんじゃないかと気づいたのです。逃げただけだと言われればそうです。でも、そんな気持ちで見られて大吾は嬉しいの?大吾担の人たちだってこんな奴いたら嫌じゃない??って考えたら、自ずと決断へと至りました。
これが今の私にできる最善の選択でした。正直、5年半も担当やってたわけだから、すっっっっっっごい悩みました。嫌いになったわけではもちろんないし、たった一言でこれまでの自分を終わらせてしまっても良いのだろうかと。また、立ち位置やメディアへの露出などが安定しているのは断然大吾だということもあり、関西担ではないオタクの友達には「これから先どっちかに絞るなら絶対大吾の方が幸せになれると思わない??」と言われたり、淳弥のあの一件の後には「これを機に大吾一本にしたら?」とも言われ、自分の選択って間違いなのかなとも思いました。
ですが、これから先の安定さとかを理由にして自分に嘘はつきたくないと思いました。それに生半可な気持ちで大吾を選ぶなんてことはもっと失礼なことです。自分に素直になった時に、どんな状況であっても自分の今を捧げたいのは淳弥だと思いました。たとえ「次」が約束されなくても。 なんて罪な男に出会ってしまったんだろう(笑)
ですが、これからも陰ながら大吾を応援していくとは思います。自分の気の赴くままに。外部舞台とかの個人のお仕事が決まったりしたら見に行くかもしれない。でも、戻ることはありません。逃げ道には絶対したくないです。
こんなワガママで自分勝手な私でも受け止めてくれる方は、これからも私をよろしくお願いします。改めて、朝田担の私としてよろしくです。
最後に…
西畑大吾くんへ
最後まで「担当」として応援することができなくてごめんなさい。大吾は何にも悪くないよ。全部私ひとりの問題です。
正直に言うと、顔が特別タイプ!!というわけではなかった大吾。友達にも「大吾だけ系統違うよね(笑)」なんて言われました。でもいつのまにか理由なんてわからなくなるくらい西畑大吾という人間が好きになってしまいました。大吾のいっちばん好きなところは、「人の気持ちがわかるからこそ、人を傷つけない行動をとることができるところ」です。それは私たちファンに対しても、同じ関西Jr.の仲間に対しても。そして、常にアイドルであり続ける姿勢に私は感心しかしてませんでした。私にとってアイドルとしての1番は今も昔も西畑大吾です。これからどんなに大きなステージに立ったとしてもそこは変わらずにいてほしいなぁ。
よし!最後くらい、ファンのみんなから呼んでほしいって言ってた「大吾くん」呼びしようかな(笑)わたしは性格上、くん付けとか照れ臭い人だからずっと呼び捨てにしててごめんね(笑)
大吾くんと出会って、大吾くんを好きになって、約5年半大吾担として応援していた時間は私の宝物であり、青春です!!あなたの担当になれて幸せでした!!ありがとうなんて言葉じゃ足りないくらい感謝しています!! 大吾くんのことが好きな人は素敵な人がいーっぱいいるから、その人たちと一緒に夢の階段駆け上がっていってね!夢は口に出せば叶うもんね!!
君のこれからに幸あれ!!!
2018.08.31
おかえり
お久しぶりです。5ヶ月ぶりのブログです。
次これを書くときはこの時って決めてました。なので私の長〜いひとり言に付き合ってくれるよっていう方はぜひ読んでくれたら嬉しいです。
この約5ヶ月を振り返ると、本当に苦しかったです。
前回のブログを書いたあとに経験した、淳弥のいない春松竹。淳弥がいる公演を見ていたこともあり、無意識に立ち位置を見ては淳弥がいないことに気付かされ、オタク人生で初めて“亡霊”の存在に苦しめられました。その後、5月には雑誌にも載らなくなり本格的に露出ゼロに。生きてるのかすらわからない。過去の映像を見ることしかできない。周りを見れば担降りをした人もいた。そんな日々。
もちろん今年の夏は会えないもんだと思ってました。だってポスターにいないし。in大阪にもいないみたいだし。
そう思ってたのに。
2018年8月4日
私の大好きな人、朝田淳弥くんが帰ってきました。
そのことを知ったのはバイト先に向かう途中、あと15分くらいでバイトだよって時に、仲のいいお友達からLINEが。
「朝田くんいるよ!!」
時が止まった。え?淳弥が?帰ってきたの?え?松竹に出るの?とにかく混乱して、バイトどころじゃねぇ、いらっしゃいませ言ってる場合じゃねぇとか思った(笑)それでもやるしかないのでちゃんと働いて、休憩時間にスマホを見るといろんな人からも連絡来てて、レポを見ても「朝田」とか「淳弥」の文字があって。
あぁ、本当なんだなぁ、帰ってきたんだなぁ。気を抜いたら泣きそうになりました。(休憩室に人いたから必死に耐えた)
そして8月9日、私的少年たち初日。
幕が開くと舞台上に確かに淳弥はいました。
そこには私の大好きな人が笑顔でみんなと歌って踊っていました。今度は亡霊じゃなく、ちゃんと淳弥がいました。5ヶ月前に見た、変わらない淳弥のままで。
この日は関西の愛されっ子大橋くんの誕生日で、松竹座はピンクで染まっていました。きっと他担の人も今日はピンクにしてたのかな?
でも私は“青”にしていました。(大橋くん、ならびに大橋担のみなさんごめんなさい。)それは、「君のことが好きな人が、君の帰りを待ってた人がここにちゃんといるよ!おかえり!」の気持ちを込めての“青”。一瞬でも淳弥の目にその“青”が映ったなら私は満足です。
もしかしたら、淳弥の復帰を望んでない人もいるかもしれません。裏切りみたいなことをしてしまったのだから仕方がありません。でも、たくさんの担当外の人たちもおかえりと言ってくれて、「淳弥は愛されているんだなぁ、あんなことがあっても暖かく迎え入れてくれるんだなぁ」と思いました。
仲のいい友達は私にこう言ってくれました。
「◯◯が淳弥のことずっと信じて待ってたの知ってるから本当に嬉しい」「帰りを待っててくれた人がいて淳弥は幸せ者だね」
1人ではなく、何人もの友達がこんな風に声をかけてくれました。本当に感謝しています。大好きです。いつか恩返しがしたいって本気で思います。ありがとう!!
最後に…
淳弥、本当に帰ってきてくれてありがとう。
謹慎なんて噂もあったけど本当のところはわからない。でも、それでもまだアイドルでいたいと思ってくれたことが嬉しいです。一生アイドルでいてくれなんて言いません。でも、淳弥がこの道で頑張りたいと思う限りは応援させてください。その道は私が照らします。君の好きな青色で。
本当に、おかえりなさい
ずっと待っててよかった
未来に乾杯!!!
晴れ渡る"朝" 見つけにいこう
本当は書くつもりなかったんですけど、どこかにぶつけたくて、こう思ってるやつがいるんだよってことで久々にはてブロ書いてみることにしました。
これから書くことはただのひとり言なので気を悪くする人もいるかもしれません。なので閉じるなら今ですよ(笑)
何について書くかはだいたい想像できていると思います。
私の大好きな人、淳弥のことです。
私が言わなくてもみんな知ってるだろうから一連のことは言いません。
私は自分の応援してるアイドルに彼女がいようがあんまり気にしないタイプの人間です。だってアイドルである前に1人の人間だし、人のこと好きになることだって当然ある。ただ、アイドルを仕事にしてる以上死ぬ気でその事実を隠す義務があると思うんですよ。だってアイドルは夢を与える仕事だから。マイナスイメージになるプライベートを知っちゃったら夢が覚めちゃう感じがしません?
だから私は、彼女がいるという事実を知っても落ち込んだり嫌いになったりは全くしませんでした。
でも世間はそんなに甘くない。酷い言葉の数々のオンパレード。しなきゃいいんだけど検索しちゃう。そんなことないよ!辞めろなんて言わないでよ!って全員にリプしてやりたかったけどそんなことできるわけありません。
だって悪いのは淳弥だから。淳弥の甘さが生んだことだから。実際に写真を流出させたのは彼女だし淳弥は悪くないって言う人もいたけど、それは違うと思います。常に目を光らせて防ぐことはいくらでもできたはず。付き合ってるんだからああいう写真は撮るだろうね。でもそれをお互いのフォルダだけに留めることはできなかったのかな。お互い芸能の仕事をしてるならできたはずだよね。
ほんっとバカ。しっかりしてよ。これからって時じゃん。
こんなことを思いながら過ごしていた3月10日。想像もしていなかったことが起こりました。
"朝田淳弥不在"
私がこれを知ったのはその日松竹に入っていたお友達からのLINEでした。
「淳弥いなかった…」
意味がわからない。本当にその文字を見たとき、鈍器で頭を思いっきり殴られたような衝撃を受けました。よくそういう表現使われるけどこういうことかと。
ただの風邪かな。明日には戻ってくるかな。
そう思いながら次の日のレポを見てもやっぱり見たのは「朝田淳弥不在」の文字。
インフルかなぁ、だとしたら5日間くらいは出れないよね。うん、そうだ。うん、待とう。
弱気になったりもしたけど私の脳内でさや香の新山さんが「戻ってくるかなぁちゃうねん!!強い気持ちで!!戻ってくるねん!!わかる?!」って言い返してくれたり。(まいジャニ参照)
…そう自分に言い聞かせてたら、気づいたら5日経ってました。
公演終了時間が近づくとドキドキして、落ち着かなくて。そんな日が続きました。
ちょっと疲れちゃった。
元々、歌を聴いたりアイドルを生で見たりしても泣くタイプではない私が、ジャニーズWESTの曲を聴いて泣きました。過去のまいジャニの映像を見て泣きました。局動画を見て泣きました。自分ってこんなに弱かったのかなぁ。なんて思ったり。
でも諦めたわけじゃありません。応援することに疲れたわけでもありません。だって、私の知ってる朝田淳弥くんって本当に素敵な人なんだもの。
日本語苦手で特に面白いこともできなくて、存在感が薄くて不憫キャラ。でも仲間からも認められるほど整った顔、しなやかで綺麗なダンス、ドラムもベースもできちゃうくらいの器用さ。そして何より優しい心の持ち主で、仲間を大事にする心を忘れない人。雑誌やラジオで誰よりもFunky8のことを挙げ、積極的に夢を口に出してくれる実は熱い人。
あけおめ後のインタビューではこんなことを言っていました。
目指すところはもっと上なんだと。ここで満足するのではなく、また新たな課題が見つかったような気がします。ドームでコンサートができるようにもっと頑張りたいと思いました。
あんまり目立ちたくないねんな〜、なんて言ってた人が今は確実に上を目指してる。それがわかった瞬間から、私はやっぱり淳弥の夢を近くで応援していきたいな、叶う瞬間を見届けたいなって強く思うようになりました。
淳弥は本当にこれからなんだよ。
2017年の春から夏、秋と悔しいことばっかり。出番とか、露出とか、いろいろ。本人がどう思ってたかはわからないけど。
でも確実に夢に近づいてるんだよ。
前はトークにもあまり参加出来ず、基本傍観者だったのに、昨年のクリパでは積極的に参加しようと頑張ってたね。あけおめも。
ちょっとずつ関西Jr.内でのキャラも定まってきて、腰振り淳弥くんで弄られたり、不憫キャラで弄られたり…。
これからが楽しみでしょうがないんだよ。
何が言いたいんだって感じだけど、私は誰が何と言おうと、全世界の人が嫌おうと、淳弥が好きなんです。大げさに聞こえるかもしれないけど割と本気で。
今回不在の理由はもちろんわかりません。もしかしたら本当にインフルなのかもしれないしね。
でもどんな理由にしろ、淳弥が戻ってきたら私は大声で言うよ
「おかえり待ってたよ」
やり直すことなんていくらでもできるから
君には未来があるから
未来に乾杯!!!
大切な宝物のお話
ついに始めてしまいました…はてブロ…。
なんとなく、自分の気持ちを書いてみようかなって(笑)まぁ文章力を鍛えるためにもいいのかなって思うので暖かく見守ってください(笑)
それにしてもなんでこのタイミングで?って思った方。よくぞ聞いてくれました(誰も聞いてない)
まぁある出来事をキッカケにちょっと昔のことなんかを思い出したりして、懐かしくなったりして。あの時の気持ち、そして今の気持ちをどこかに書き記しておきたくなったんです。だから先に言っておくとこれは自己満ブログかもしれません。それでも興味あるよって方はこのまま見てください(笑)
遡ること約5年前。当時私は中3。二宮担をしながらも東京のJr.に興味を持ち、まぁいわゆるDDをしていました(笑)そんなとき、たまたま新聞の番組欄を見たらこんな文字が。
まいどジャーニー
ん?ジャーニー?ジャニーズの番組か何かかな?とりあえず見てみようかな!
ほんとにそれくらいの軽い気持ちで録画したのを今でも覚えてます。今思えばこの時の自分ナイス!!って感じだね(笑)
いざ見てみた私の感想
「あー、向井くんと金内くんは見たことあるわー。あとは全然知らないなー。」
っていう。先に言っておくと、その頃の私は7WESTより上の世代しか知らないという状態で、藤井流星くんを推し始めていました。(流星さんの話はまたどこかで)
だから康二と柊真のことも雑誌でちらっと見たことある程度。廉と大吾と流星(大西)のことはほんとに知らなくて。
まぁなんとなく見続けていたもののしばらくは推しと呼べる子はいませんでした。でもいつのまにかそれができたんですよ。
まぁ御察しの通り
西畑大吾くん!!!
正直、1番タイプじゃないなって思ってました(笑)だってこれは今も言えることだけど、私のタイプはカッコイイ系だよ??目がキリッとした系の。なのに当時の大吾は圧倒的にカワイイ系。なんなら全然目が開いてなくて眠そうだった(笑)雑誌で本人が眠そうな顔してるの直したいって言ってた(気がする)くらいだもん。
でも今でも覚えてるくらい好きな彼のエピソードがあって。お母さんに飛び蹴りされる大吾。いやお母さんパワフルかよ。多分この話2回くらいまいジャニで話して実演もしてるんですよ。それで私は「お母さんに飛び蹴りされる大吾くん」っていう認識をして、気づいたら大吾が喋るだけでテンション上がったりしちゃって。本当にいつ担当になりましたとかいうのは全く覚えてないけど、高1でTwitterを始めて、初めてのオタ垢を作った時はすでにプロフィールに大吾♡って書いてたしアイコンも大吾(笑)
長くなりましたが、私の大吾との出会いは間違いなくまいジャニで、東北のど田舎に住んでた女の子が関西ジャニーズJr.をより知るきっかけになったのもまいジャニです。
だからこそまいどジャーニーという番組は大切で、特別。絶対に終わってほしくない。その気持ちは絶対変わりません。どんなカタチになっても見続けると思う。
だからこそ、これだけは言わせてほしい。
私はどんなに時が経ってもKinKanとなにわ皇子、6人のまいどジャーニーが1番好き!!!!!!
これは何年経っても絶対に消えない。
急に関西ジャニーズJr.の冠番組が経験のまだ浅い6人に突然任せられて。でも後戻りなんかできない。必死に数をこなして慣れていくしかない。いわばあれは6人の成長日記であり、ドキュメンタリー。
最初はかねこじがお兄ちゃんとして引っ張って、なにわちゃんが初々しくて可愛くて、紫耀がわけわからんこと言って。だんだんと康二の司会が板につき、なにわちゃんたちが自ら喋るようになって、紫耀の奇想天外な天然も柊真の的確なツッコミで盛り上がり…。本当にキラキラしてた。永遠に終わらなければいいのにって。
そしてその頃から、彼らの夢が初めは3-3だったのが6になり、「この6人でデビューしたい!!」って雑誌で言うようになったよね。その気持ちはファンも一緒で、このままデビューまで突き進んでくれるんじゃないかって本気で思ってました。
でもそこはアイドルの世界。そう簡単にいくわけない。紫耀と廉の2人だけでの東京のお仕事が増え、いつのまにかなにわ皇子とKinKanが自然消滅。柊真が別の道へ。紫耀と廉が本格的に東京へ。1人、また1人といなくなり、気づいた時には3人しか残ってなかった。
どれだけ他の仕事で離ればなれになっても絶対に6人が集まる場所、それは間違いなく「まいどジャーニー」でした。でもまいジャニですらももうみんな揃わなくなった。
その時みんなは何を思ったんだろう。去る側も残る側も。
ただのファンでしかない私たちに彼らの思ってることを知るすべはほとんどない。知ったとしても本当に思ってたことなのかなんて確かめようがない。
でも絶対にみんなに「寂しい」っていう感情はあったんじゃないかな?だって毎日会ってた家族がもう揃わなくなったことと同じだよ??自分だったら絶対寂しい!!
でも彼らは強いから私たちに前を向かせてくれた。特に、残された3人は。残されたなんて言い方あんまり良くないかもしれないね。
私は3人に、1番は大吾にめちゃくちゃ助けられた。6人にしがみついてた私に前を向こうよって言ってくれた。それは言葉ではなく、仕事への姿勢で示してくれた。
今の関西Jr.の体制になって初めての夏松竹での「少年たち」
今まで6人の1番端っこでニコニコしてた大吾が、松竹座の0番に立たされた。本人が1番びっくりしただろうし、違和感しかないって言ってたりもしてたね。
私はこの舞台を観にいくことはできませんでしたが、雑誌の写真を見て衝撃を受けました。だって別人に見えたもん。ニコニコしてる大吾ではなく、確実に前を向き、俺が今のセンターだという覚悟の伝わってくる目つき。
最高にカッコいいじゃん!!前しか見てないじゃん!!自分もメソメソしてる場合じゃないじゃん!!バカ!!!
こんなことを東北のど田舎で1人噛み締めていました。自分が後ろばっかり振り返ってたら今の彼ら見れないじゃん。過去は変わらないし前を向くしかないじゃん。
そう思って私は6人にしがみつくのをやめました。
でもやっぱり廉と紫耀のデビューを聞いて、この6人を思い出さずにはいられませんでした。東京で大活躍してる2人の原点は確実に関西だし、まいジャニ。それをどうか2人には忘れないでほしい。懐かしむくらいでいいからたまに思い出してほしい。あの時の輝いていた君を。
私も宝物として胸の中にそっとしまっておくから。でもたまには思い出させてね。
最初にも言ったようにこれはただの自己満かもしれません。案の定ダラダラ書いてしまったし。ジュンヤカワイイが口癖のやつが急に何言ってんだよってな(笑)
でもこれはまた後ろを振り返ってしまった大吾担の自分を、今度は自分の力で前を向くための手段です。
これは私の宝物のお話でした。