朝田淳弥くんの未来に乾杯!

2019年4月1日。

どうやら私の大好きな人がジャニーズ事務所を卒業したみたいです。

なんだかまだ信じられなくて、信じたくなくてこんな書き方になっています。

 

 

前日の春松竹千穐楽。観に行くことはできませんでしたが、そこで歌う淳弥は大号泣していたらしいです。そしてみんなも淳弥にハグしに行ったり、肩組みに行ったり、泣いていたり。ダブルアンコールでは大吾くんが一部の歌詞を「朝田」に変えて、淳弥を真ん中にしてみんなで架け橋作って、最後には淳弥が「未来に乾杯!」と言って幕がしまったと。みんながこの状況を知り、淳弥の卒業式だったと言っていました。

 

そして次の日。0時を過ぎると公式サイトから「朝田淳弥」の文字がなくなりました。直前まで見ることができていたプロフィールや動画は簡単に消されてしまいました。こういう時だけ仕事早い事務所。だいっきらい。

 

 

 

 

 

 

好きになったのは確か私が高校3年の秋。受験勉強真っ只中っていう時に新たな沼に落ちてしまいました。私は大吾くんの担当をしていたので、淳弥のことはもちろん前から知っていました。本当に突然でした。ある日のまいどジャーニーのshowtimeで、茶髪の子がドラムを叩いていて、軽率にもかっこいいと思いました。よく見たらそれは朝田淳弥くんで、大学生になって初めて髪を染めたタイミングでした。こんなことを言ってしまえば落ち方ほんとにチョロいんですけど、茶髪がすごく似合っててそれでドラムを叩く淳弥にころっと落ちてしまいました。そんな感じで好きになったので、一時的な自分の中でのブームかななんてその時は思っていました。私からしたらよくあることなので(笑)でも色んな映像を見ていくうちにどんどん好きになっていって、気付いたらこれです。口を開けばジュンヤ♡なオタクになっていました(笑)

好きになった時にはfunky8という非公式ながらもグループがあって、本人たちも応援する私たちも「公式化」「単独コンサート」など色んな夢を口にしていました。あの時代を応援できたことは本当に幸せだと今でも思います。関西にユニットができ、バラバラになってしまった今でも私の中からfunky8は一生消えることはありません。淳弥は7人が大好きで、この7人と夢を見ることを1番楽しんでいるように見えました。

 

「公式ユニットになりたい」

funky8で単独コンサートがしたい」

「この8人でデビューしたい」

 

みんなの中で1番言葉にして私たちに夢を教えてくれたのは淳弥でした。その言葉を聞くたびに、私もその夢を叶えてあげたいと強く思いました。

"淳弥が大好きな人たちと一緒に夢を叶えること"

それが私の夢でした。

 

ですが現実はそう甘くなく、8人をどんどん引き離していきました。そしていつのまにかfunky8という名前を誰一人出さなくなっていました。出さなかったんじゃない。出せるような状況じゃなかったんだと思います。でもそれぞれの場所で、それぞれの立ち位置で間違いなく8人全員が輝いていました。

そして去年の10月になにわ男子が結成、今年2月にはAぇ!groupが結成。本格的にバラバラになってしまいました。前回のブログでも書いたけど、Aぇ結成は正直悔しすぎたなぁ(笑)

流石に心が折れかけたけど、そんな私に前を向かせてくれたのはやっぱり淳弥でした。インタビューでの前向きな発言、心強い言葉。全てが私の安心材料になりました。

 

「次のチャンスに向けて、もっともっと頑張らなあかん」

「いろいろ環境が変化してるから、この新しい風に俺らも乗らんと。」

「大地にも負けたくない。」

「どんな環境におっても自分を輝かせられるように、何が起きても、何事にも全力で頑張ります!」

 

この1ヶ月でこんなにも前向きな言葉を発信してくれました。

 

だからこそ信じられないんだよなぁ。

 

 

私は常々、いつか淳弥がこの仕事を辞めてしまうことを覚悟はしていました。そんなの望んでなんかいないけれど、淳弥がそうしたいと思うならいってらっしゃいと見送ることしかできません。だって、淳弥の人生は私のものじゃない。淳弥だけのものだから。でもいざ突然いなくなってしまうと覚悟なんかこれっぽっちもできていなかったことに気付かされました。もっと淳弥にいろんな景色を見せて欲しかったし、私も淳弥にいろんな景色を見せてあげたかった。もっともっと応援したかったし、夢を叶えてほしかった。大好きな仲間たちと夢を叶える姿を見たかった。

もっと、もっと…そう思うほどに自分が何か淳弥のためにしてあげられることはあったんじゃないかって思って、自分を責めました。演技のお仕事がしたいと言うなら要望を出せばよかった。淳弥の良さを全力でみんなに伝えられたらよかった。私に出来ることはいっぱいありました。でもやりきった!と思うほど出来ませんでした。無力だったなぁわたし。

でもそんな私でも淳弥のために出来たこともあります。淳弥に会いに行くこと。ペンライトで淳弥を照らすこと。団扇を振ること。公式グッズを買うこと。気持ちをファンレターに込めて伝えること。ぜーんぶ自分がやりたいと思ってやっていたことでしたが、淳弥がステージに立つ理由にほんの少しでもなれていたのなら私がいる意味はあったと思います。力になれてた?

 

私がここまで好きになれて、全力でどうにかしてこの人に最高の景色を見せてあげたいと思った人は初めてでした。今までにも担当として応援した人はいましたが、好きになってから一度も冷めずに全力で応援できたのは淳弥だけです。時にはいるのかわからない現場に賭けで行ったこともありました。あ、ちなみにちゃんといました。あの時は試験期間だったので新幹線の中でレポート書きながら行ったのもいい思い出です(笑)新年早々、実家の帰省を短くしてまで大阪に飛び、早朝からグッズのために並んだりもしました。しかも2年連続。そして一時期姿を消したこともありました。ちょうど1年前です。でもその時ですらずっと私が淳弥を好きな気持ちに変わりはなく(流石にバカだなぁとは思った)、帰りを待ち続けました。この時のことを知る友人には、「一度逃げて、戻ってきたタイミングで出戻りだってできたのに淳弥を信じて待ってたのは本当にすごいよ。」なんて言われました。私からしたら人に褒められるようなことをしているつもりはありませんでした。ただただ淳弥が好きでしょうがなくて、誰がなんと言おうと私が好きなんだから帰りを待ってあげようと思っていただけなので。言い方はちょっと悪いけれど、降りるにはまぁ絶好の機会だったこの時を乗り越えたんだから、相当私は淳弥のことが好きなんですよね。

たぶん「担当」という概念では私にとってベストな人が「朝田淳弥」だったんだと思います。これ以上の人はもういないんじゃないかなぁ。

 

改めて聞かれるとどこが好きなのかわかりません。朝田淳弥という人間の全てを好きになってしまったことは確かです。名前の由来は「人に好かれる素直な子」だそうです。ご家族が「淳弥」という名前に込めたように、淳弥は素直な人で、本当に人に愛されています。どこか憎めないところがあって、淳弥の周りは愛で溢れていました。兄弟のような関係性で隣にいることが当たり前だった今江くん。弟のように淳弥に懐いてくっついてくる大橋くん。淳弥のアホなところとかを見てはケラケラ笑う丈くん、リチャ。自分からくっついてくるくせに淳弥から行くと突き放してツンデレ発揮しちゃう末澤くん。入所してすぐの時のユニットからずっと近くで淳弥を見守っていてくれた古謝くん。生意気な弟を可愛がってくれてプライベートでもよく一緒に過ごしていたまとくん。裏で仕事の相談に乗ってくれて、自分の連載で密かに淳弥にメッセージを送ってくれた龍太くん。プライベートも過ごし、淳弥が復帰した舞台でおかえりと言ってくれた康二くん。なかなか後輩に好かれないと自分で言っていた淳弥をすごく慕ってくれて、いっぱい泣いてくれて淳弥の最後の写真を載せてくれた小島くん。同じく、淳弥のことを慕ってくれた後輩である楽ちゃん、風雅。代表して数人しか名前を挙げられなかったけれど、こんなにも淳弥は素敵な人たちと一緒に仕事ができていました。幸せ者すぎるよ。でもこんなに沢山の人に愛されたのは、淳弥の人柄があってこそだと思います。みんなと距離を置かざるを得ない状況になり一時期おやすみしていたけれど、それでもみんなはまた淳弥のそばにいてくれました。それも淳弥の人柄あってのこと。もちろん1番は周りのみんなが暖かいおかげです。だから私は淳弥だけではなく、関西ジュニア全てが大好きで、宝物です。

 

そして、淳弥を好きになれたおかげで私は色んなことが変わりました。今の私を知っている人は想像もしないと思いますが、大学1年くらいまではかなりの人見知りでした。高校入学してすぐはクラスに唯一同じ中学の子がいなくて話し相手がいなく、学校に行きたくないと毎朝泣いていました。結局毎日学校に行って(ちなみに3年間皆勤賞)今でも付き合いのある友達とも出会えましたが、ほんとにそれくらいの人見知りでした。大学入学時もそんな感じで自分から友達を作ることが苦手でした。ですが、そんな私がなぜかオタクとして知り合ったみんなとはすぐに打ち解けられました。Twitterで元々お話はしていたとはいえ、過去の私ではあり得ません。こうして出会い、今ではオタク関係なしに色んな話ができる友達が全国各地にできました。こんな素敵な出会いができたのは淳弥を好きになれたからです。人見知りなんて忘れるくらいにみんなと話すのが楽しくてしょうがなかったです。ほんとに母親にびっくりされるほどです。そして全然離れた土地に妙に詳しくなりました(笑)田舎者のくせに梅田?大阪駅?余裕だわ〜!HEP集合ね〜!なんて(笑)ほんとにど田舎出身なので交通機関にも弱かった私ですが、今では飛行機乗り回してます。夜行バスだって乗りこなします。これも間違いなく人として成長できたことです(笑)

 

本当に書ききれないくらい淳弥には沢山の宝物を貰ったし、幸せにしてもらいました。もらいすぎて今キャパオーバーだよバカ。全部涙として溢れてきちゃうわバカ。

 

これから先、淳弥がどんな道を進むのかは私にはわかりません。でも淳弥が進む道は淳弥が決めることで、それが正解です。仲間のことが大好きで大好きでしょうがないあなたのことだからこの決断は本当に悩んだと思う。違う環境に自分で踏み込むのはそう簡単に決断できることじゃないし、怖いと思う。それでも仲間と一緒に10年歩き続けた道ではなく、まだ見ぬ道を選んだんだから淳弥は本当に強い人です。すぐそばに仲間はもういないかもしれないけれど、この10年間でできた大切な仲間はこれからもずっと淳弥を支えてくれるはずです。

だから私がすべきことは、不安でいっぱいなその背中を「いってらっしゃい」と優しく押してあげることだと思います。物理的には無理だし直接伝えることももうできないけれど、その気持ちが淳弥に届くと信じて背中押させてね。

淳弥にはずっとずっと笑っていてほしいし幸せでいてほしいです。それは環境が変わっても、姿が見れなくてもずっと変わりません。この仕事をしていて辛いこととかがいっぱいあったと思います。でもそれでも淳弥は「楽しいのはずっと楽しいから」と言っていました。この言葉にどれほど私が救われたか。だからこれからも淳弥が楽しいと思えることをして、俺むっちゃ幸せやわ〜!って言えることだけを望んでいます。

 

 

 

 

 

このブログを終わりにしたくなくてこんなに長く書いてしまいました。だって私がみんなの前で朝田担を名乗って書く最後のブログだもん。最後まで語彙力なくてすみません。担タレやんって笑ってください。

 

 

 

 

ここからは手紙だと思って見てほしいです。朝田担の私として書く最後の手紙です。

 

 

 

〜関西ジャニーズJr.のみんなへ〜

最後にあんなに素敵な卒業式をしてくれてありがとう。あの場所に私はいなかったけれど、淳弥のためのステージみたいだったって話聞きました。色々迷惑もかけたと思うけど、私の大好きな淳弥を最後まで愛してくれてありがとう!笑顔で送り出してくれてありがとう!私から言うのもあれだしそんな心配しなくてもいいんだろうけど、これからも淳弥のこと支えてあげてください。みーんな幸せになるんだよ!!夢諦めんなよ!!叶えろよ!!約束だからね!!

P.S.ずっと意地張ってて言えなかったけど言わせてください。Aぇ!group結成おめでとう!

 

〜私と仲良くしてくれた友達へ〜

朝田担の私と友達になってくれてありがとう。多分淳弥を好きになれてなかったら出会えなかった人ばかりだと思う。最後まで淳弥がお騒がせしちゃってごめんね(笑) 口を開けば淳弥の話ばっかりで呆れられがちな私だったけれど、そんな私が大好きだと何人もの子が言ってくれました。私のおかげで淳弥の良さいっぱい知ることができたよって言ってくれる子もいました。どの言葉も本当に嬉しいです。だからこそこれからの自分がどうなるのかわからなくて不安でいっぱいだけど、みんなの前で全力で淳弥を好きでいれた自分を誇りに思って前に進んで行こうと思います。淳弥がきっかけでみんなと出会えたんだから、私は淳弥を好きになって後悔なんかしてません!これだけは絶対伝えたくて!最後まで気遣わせてしまってごめんね!でもわざわざ連絡くれた子もいてありがとう!みんなも私の宝物です!みんなとみんなの応援している人が幸せになりますように!

 

そして最後に…

 

朝田淳弥くんへ〜

多分読まれることなんかないのに最後に何伝えたらいいのかわかりません。あんなに前向きな言葉で溢れてたからこんなにも早くこの時が来るなんて正直思ってなかったよ。ダンスも短期間でレベルアップしていたし。全部私たちに最後まで全力で応援させるための意地悪だったのかなぁ(笑)一生アイドルでいてくれなんて簡単に言えないことはわかってるし、縛り付けることもしたくないです。私は淳弥を全肯定してます。だからどんなことも受け入れます。裏切り者だなんてこれっぽっちも思ってないよ。淳弥の幸せは私の幸せでもあります。だから例え姿が見えなくても淳弥が幸せならいいんです。綺麗事に聞こえるけどちょっとの強がりくらいさせてよ。

私が初めてアイドルを好きになってファンサというものをもらえたのは淳弥が初めてです。見つけてもらうことに命をかけていた訳ではないけれど、私の団扇やペンライトに気付いて顔がパーっと分かりやすく笑顔になってくれたのを見るのが好きで、その度に幸せでした。また会いに行きたいと思わせてくれて、そのために学校もバイトも頑張ろうって思わせてくれたね。最後となった春松竹でも、気づいてくれたの絶対に忘れないよ。

淳弥からもらった大切な宝物は一生消えることはないと思います。少し薄れてしまうかもしれない。でも絶対に私の心の中にあなたの存在は残っています。残します。私の人生の約3年間という短い時間だったけれど、全力で淳弥を応援できたこの時間は私にとっては本当に大切な時間です。いつか私に家族ができたら、こんなに素敵なアイドルを全力で応援してたんだよ〜!って自慢してやります。淳弥は私の誇りだから。

最後だと思わずに出した最後のファンレターはすっごく長くて重い内容になってしまってごめんなさい(笑)実はあの手紙でちょうどいつも使っていたレターセット無くなって、買わなきゃいけないな〜って思って探してたんだけどどこにもなかったんだよね。全然どこにでもあるようなシンプルなレターセットだったのにどこ探してもなかったんだ。そういうことだったのかなぁ(笑)でもあの手紙の最後に私の1番伝えたいことが伝えられてた気がします。だからここでも最後に書くね。

 

色々なことがあったけど、私は淳弥くんを好きになって、応援できて幸せです。だから好きになったことを後悔したことなんて一度もありません。アイドルとして私と出会ってくれてありがとう。あなたと出会えた私は世界一の幸せ者だって胸張って言えます。

淳弥くんの未来に乾杯!!

 

 

 

 

 

 

ずっとずーっとあなたが私の一番星です。

どうかずっと輝き続けられますように。

 

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